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東京オリンピック

今回の東京オリンピック開催決定の瞬間はイタリアのスカンノという小さな村にいた。9月7日の夜だった。イタリアではまったく関心、興味なし。NEWSはF1グランプリとサッカーとベネチア映画祭のことばかり。ネットでのライブでどうにか決定の瞬間を目にすることができた。その時、学生時代の記憶が蘇った。1981年9月30日のIOC総会で名古屋がオリンピック招致に失敗した日だ。テレビでは特別番組が組まれ黒川紀章がスタジオで中央に鎮座し決定の瞬間を待っていた。建築を学んでいた学生だったので、期待に胸を膨らませていた。黒川のメタボリ都市、建築が続々と出来る予感。しかし・・・。番組はすぐに終了。開催地に決まったのはソウルだった。その後、1987年のプレオリンピックの時ソウルに訪れ、金寿根のスタジアムを見ることとなる。彼は日本で学び、妻も日本人だった。代々木の競技場を思わせるフォルムは美しかった。その時記念品で手に入れたガラスの灰皿は今も研究室にある。翌年のソウルオリンピックはパリのアパートでテレビで観戦した。オリンピック招致に失敗した名古屋市長はソウルオリンピックを見届けて自殺してしまう。国家や、人を動かすイベントがオリンピックだ。いい加減な気持ちで招致参加した大阪を例にみればわかる。2001年7月13日のIOC総会での投票にわずか6票。招致辞退の勧告までされてしまうようなありさまだった。前回の東京招致には、オリンピックデザイナー総監督安藤忠雄という人物が動かそうとした。その時、黒川紀章は東京都知事選にオリンピック反対を公約に出馬することになる。わたしはこんな建築家たちのエゴと正義感がないまぜになった姿がとにかく嫌いだ。民族の祭典だったベルリンオリンピックはヒットラーのプロパガンダだった。その傍らには、ヴェルナー・マルヒやその後ニュルンベルグで大計画を構想するアルベルト・シュペアーら建築家が常にいた。今回もザハ・ハディドの国立競技場が話題になっている。しかし今回は建築家が前面にでた招致ではなかった。代わりに広告代理店的な戦略重視の招致だった。決定後、メディア系企業の株が一気に上昇することはすでに承知のことだった。IOCは儲けと安全を選択した。日本人として決定には嬉しかったが、と同時にスペインのことがとても心配になった。スペインが本命視されていたのに、予備選で敗退。スペインは国の瀕死の経済再生の最後の頼みの綱としてオリンピックに賭けていた。ヨーロッパに居るとその空気はヒシヒシと伝わってくる。国民みんなの期待を背負っていた。準備も万端だった。ところが・・・・。これからスペインはどうなるのだろう?若者にはほとんど職がない。イスタンブールはいずれ開催地になるだろうから焦ることはないだろう。東京でのオリンピックに反対はしない。予算がどうだとか、震災へまわせだとかという輩の意見には私は賛同しない。震災に集まったお金、人、善意をまともにマネージメントできていない上に、オリンピックを何度でも開催できるほどの支援をまるで点滴状態にして風俗、遊興業界をバブルにしてしまうようなものであってはならない。そして地域の風景や環境を正義感ぶってジェノサイドしてしまうコンサルや建築家たちの姿を見るのもいやだ。最近の日本を見ると少し変だ。一休ドットコムがバブルになっている。高級リゾートがいつも満杯。都心の億ションがキャッシュでどんどん購入されている。こんな日本がしなければいけないことはもっとあるだろう。同時に招致に奔走した相棒、スペインやイスタンブールと2020年になんらかの恊働ができるようなオリンピックができないものだろうか。東京オリンピックに協力してもらうための公共事業をスペインやイスタンブールに発注する。そして次にイスタンブールが開催地になった時は東京が全面的に協力する。そんな国を超えてつながり、次代をつなぐようなイベントであってほしい。オリンピックという出来事に対して、安易な反対論者や広告代理店や建築家には組したくない。

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今夜は考え過ぎない、すっきりグリド甲州で乾杯!

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by riki_seri | 2013-09-23 16:49 | 日常

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